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神戸地方裁判所 昭和44年(わ)1044号 判決

被告人 久武啓之助

昭一四・七・八生 会社役員

主文

被告人を禁錮二年に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(「池の坊満月城」の建物の状況)

株式会社「池の坊満月城」(神戸市兵庫区有馬町八六五番地所在)は古くから経営されていた旅館「池の坊」に由来するが、近年その料理旅館業としての経営を発展させ、本件火災当時、「満月城」以下七棟の旅館建物を擁し、宿泊客の収容能力も、個人客で約四五〇人、団体客で約六五〇人の多数にのぼり、従業員数は約一四〇人という、大規模な旅館となつていた。各建物の概要は別表(一)記載のとおりである。消防用設備は別紙配置図のように設置されていた。

本件火災当時、「池の坊満月城」には宿泊客が二六九名、従業員四一名計三一〇名が宿泊していた。

(罪となるべき事実)

被告人は、神戸市兵庫区有馬町八六五番地において観光客を相手に料理旅館業を営む株式会社「池の坊満月城」の代表取締役社長として、同旅館の経営管理を統括するとともに、消防法上の防火管理者として、関係法令の定めるところにより、同旅館建物等につき、消防用設備等の点検、整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の設置、維持、管理等を行なう業務に従事していた者であるが、昭和三九年一一月頃から昭和四〇年一二月頃にかけて、「天守閣」(延床面積九七三平方メートル)及び「本丸」(同一、三八六平方メートル)の各増築工事を完成させ、同旅館増築部分の床面積の合計が一、〇〇〇平方メートルを超えるに至つたので、その使用を開始した昭和四一年一月一日、火災発生の際全館の宿泊客及び従業員に火災発生を早期に知らしめて早期消火に資するとともに火災発見の遅れにより宿泊客、従業員が逃げ遅れて焼死する等の事故が発生するのを防止するために、既設建物部分に自動火災報知設備を設置する消防法令上の義務が生じたものであるところ、「池の坊満月城」は多数の宿泊客及び従業員が宿泊する旅館である上に、五階、六階建の建物がある反面、木造建物も多く、それらが複雑に連結されて、全一棟化し、一旦出火すれば容易に延焼し避難脱出が困難となる建物構造であつたのであるから、被告人としては、消防法令上の設置基準に従い、速やかに同設備を既設建物部分に設置し、その維持、管理を適切ならしめ、もつて前記のような事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたにもかかわらず、屡次にわたる消防署係員の同設備の早急設置方の指導、警告にもあえて従わず、同旅館において火災が発生しても大事に至ることはないものと軽信して、右増築部分に同設備を設置したのみで、既設建物部分にその設置を怠つた過失により、昭和四三年一一月二日午前三時前頃、仁王殿二階サービスルーム内から出火し、同旅館建物の殆んどが焼失する火災が発生した際、別表(二)記載のとおり、同旅館各部屋に宿泊していた八十島正文ら二八名(うち従業員一名)に火災発生を早期に知らせることができず、よつて同人らをして避難、脱出を不可能ならしめ、その頃、右宿泊部屋又はその付近において焼死するに至らせたものである。

(証拠の標目)(略)

(訴因に関する当裁判所の判断)

第一本件火災の出火場所

前掲関係各証拠に基づき、本件火災の出火場所について検討する。

一  まず、大掛正昭(中の丸「十六夜」の間の宿泊客)の火災目撃状況に関する供述は次のとおりである。

目を醒まして外を見ると、下からすーつと煙が昇つて来た。「二日月」の間と「三日月」の間の境位の位置に縦約五〇センチメートル、横約二〇センチメートルの赤い火が見えた。同室の朝野啓一らを起こし、朝野と私は、ダンスホールから電話交換室前に至る階段を隆りて仁王殿二階サービスルーム(以下「サービスルーム」と略称する。)の角まで来た。同室の戸は閉つていたが、その隙間から黒つぽい煙が廊下側へ吹き出していた。廊下はまだ煙が充満していなかつたが、そのうちに煙が大きくなり、廊下一杯に広がつた。

右朝野は、右煙の状況について、さらに具体的に次のように供述している。

サービスルーム前に行くと、同室の出入口の隙間から黒つぽい煙が相当な勢いで吹き出していた。まもなく廊下全体に薄い煙が立ちこめた。サービスルーム横の便所に入つて便器の前に立つた時背後を振返ると、廊下に黒い煙がものすごく一杯に充満していて、廊下に出て見るとそれが渦を巻くようであつた。サービスルームの方から南側の奥の方まで、激しい勢いで煙が一杯回わつていて、息をするのも苦しい状態であつた。

奥山浩司(仁王殿二階廊下南の一室に就寝、従業員。)の火災目撃状況に関する供述は次のとおりである。

目を醒ますと焦臭い匂いがした。妻を起こし仁王殿二階「龍」の間付近に出て見ると、仁王殿調理室に突き当つたところの廊下が真赤に燃えているのが見えた。調理室の廊下から仁王殿の廊下へ煙が吹き出してくる感じであつた。煙が出ていたのは廊下と天井の真中辺りで、火はその向かい側のようであつた。(火災発見当時は、)煙はまだ廊下に充満していなかつた。

右奥山に同行した同人の妻新谷(奥山)康子は、サービスルームと物入れの間の小さな階段付近が燃えているようであつた、煙は別に目が痛いとか、息が苦しかつたという状態ではなかつた旨供述している。

阿部義彦(調理場南の調理人控室に就寝、従業員。)の火災目撃状況に関する供述は次のとおりである。

調理場に出て見ると、天井一面に煙が這つていた。梅田福之助を起こし、調理場の電気をつけてみたが、調理場は異常なかつた。廊下に出る戸を開けてみたら、廊下一面煙の渦であつた。電話交換室と物置の境界付近が燃えていた。(以上同人の司法警察員に対する昭和四三年一一月三日付供述調書。)サービスルームの手前の階段か壁の辺りが燃えていた。(以上、同人の司法警察員に対する同月一八日付供述調書。)

右梅田は、物入れの南端の前付近が燃えていた、廊下か天井かははっきりしない旨供述している。

最後に、島崎幹雄(中の丸「三日月」の間の宿泊客。)の火災目撃状況に関する供述は次のとおりである。

尿意を催して廊下に出ると、もやより濃い煙が顔の前にあつた。ダンスホール横の階段を降り、折れる所で左前方面で火が燃えているのを見た。煙は苦しい程ではなかつた。

二  そこで検討するに、以上七名の者は、いずれも本件火災の極めて初期の段階での目撃者であることは、その供述内容自体から明らかであるが、右大掛、朝野を除く右奥山以下五名の者は、いずれもサービスルーム周辺で火が燃えているのを目撃しているが、一方、右大掛、朝野のみは、同所付近で火が燃えているのを目撃していないのである。右両名は、宿泊部屋の外に火と煙を見たので、不審を抱き、サービスルーム付近に行つてみたわけで、この経緯に鑑みるとき、当時サービスルーム周辺で火が燃えていたとすれば、両名がこれを看過するとは考えられない。従つて、両名がサービスルーム前に来た時点では、まだ同所周辺で火は燃えていなかつたものと認めるのが相当である。してみれば、右大掛、朝野の両名が、最も早い時期における目撃者であると考えられる。右両名によれば、サービスルームの入口の戸の隙間から廊下側に黒つぽい煙が吹き出していた、というのであつて、そうである以上、本件火災の出火場所は、仁王殿二階サービスルーム内と認めるのが相当である。

阿部の前記供述のうち、火が燃えていた位置に関する供述は、内容に相当の変遷があつて、たやすく信用できず、奥山浩司、新谷(奥山)康子、梅田、島崎の前記各供述は、その目撃時点が右大掛、朝野に遅れること、即ちその間の火勢の発達、延焼を考慮に入れるならば、必ずしも右認定の妨げとなるものではない。

なお、付言するに、本件火災の出火原因については、検察官は不明であるとしている。記録上その点に関する証拠も存しない。

第二被告人に対し業務上の過失を認めた理由

前掲関係各証拠に基づき、被告人に対し、業務上の過失を認めた理由を説明する。

一  被告人に対する注意義務の存在

1 消防法令上、「池の坊満月城」に設置すべき自動火災報知設備及び右義務の生じた時期

自動火災報知設備は、昭和三五年改正の消防法及び関係法令により初めて一定の防火対象物(旅館を含む。)にその設置が義務づけられたもので、感知器が警戒区域内の一点において火災を感知すると、直ちに受信機に伝達され、受信機は火災発生を表示するとともに音響器具が鳴動を開始する仕組みになつている。自動火災報知設備の設置基準については法令の改廃があるわけであるが、本件火災当時までの基準によれば、受信機の音響器具の音量が全区域に火災発生を報知するに足りない場合、右音響器具を増設し、又は受信機と非常ベル等の非常警報器具、非常警報設備と連動させ若しくは受信機、発信機の位置において手動操作を行なうことにより、全館に火災発生を報知することができる設備を設置すべきものとされ、従つて、受信機は守衛室等常時人のいる(現在する)場所に設けることとされていた。

自動火災報知設備は、当時の性能においても火災の極めて初期の段階で警報を発しえたものであるから、火災の早期の発見、避難、消火に最も有効な機能を発揮しえたと考えられる。

ところで、昭和三五年改正の消防法令は、その施行時において既設の防火対象物又は現に増改築等の工事中の防火対象物については、原則としてその設置義務を負わせず、その後に工事に着手した増、改築により、〈1〉当該増改築部分の床面積の合計が一、〇〇〇平方メートル以上となる場合、又は〈2〉当該増改築部分の床面積の合計が既存延床面積の二分の一以上となる場合、既設部分にもその設置義務が生じるとされていた。

被告人は、昭和三九年一一月、天守閣(延床面積九七三平方メートル)を竣工させたが、この時は既設建物部分に対する設置義務が生じるに至らず、その後昭和四〇年一二月、本丸(延床面積一、三八六平方メートル)を竣工させ、翌四一年一月一日その使用を開始したことにより、右使用開始日において、消防法令上、既設建物部分にも自動火災報知設備を設置すべき義務が生じた(天守閣、本丸については各増築工事の際設置された。)。

2 既に判示した如く、被告人は、消防法令の定めるところにより、「池の坊満月城」の旅館建物につき、消防用設備等の点検、整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の設置、維持、管理等を行なう業務に従事していた以上、被告人において、既設建物部分に自動火災報知設備を設置すべき、消防法令上の義務を負つていたことは明らかである。

ところで、同旅館の規模、建物の配置及び構造等に鑑みて、一旦火事になれば火の回わりが早く、特に深夜の火災においては、避難、脱出が著しく困難となり、少なからぬ焼死者や負傷者を出すであろうことは一般通常人においても十分予見可能である。そして、自動火災報知設備を設置することが、右結果を回避する上で極めて有効、適切であることは、既に説示した自動火災報知設備の機能、性能から明らかであり、且つ、被告人の同旅館経営者としての地位、権限、昭和三九年に同旅館の賦山荘が出火した際、自動火災報知設備が作動したために早期に消火しえた事実、消防当局の再三にわたる指導、勧告、設置に要する費用、日数(約二か月)等に鑑みれば、被告人において、既設建物部分に自動火災報知設備を設置することは十分可能であり、またその必要性もあつたと考えられる。

そうである以上、既設建物部分に自動火災報知設備を設置することは、被告人にとつて、単に消防法令上の義務であると言うに留まらず、刑法上の注意義務であると言わなければならない。

二  被告人の注意義務違反

1 昭和四〇年八月、本丸の建築確認申請の際、神戸市消防局は、既設建物部分である満月城、仁王殿にも自動火災報知設備を設置する義務がある旨、申請代理人に伝えた。昭和四一年二月三日の本丸使用開始届検査をした際、神戸市兵庫消防署有馬出張所(以下「有馬出張所」という。)は、立会人を通じて被告人に対し、早急に既設建物部分に同設備を設置するよう指示した。被告人は、この時既設建物部分にも同設備を設置しなければならないことを知るに至り、業者にその見積りをさせるなどした。同年一二月九日の立入検査の際、有馬出張所から再度その設置方を指示され、被告人は、翌四二年一月六日、「既設物防火設備施行計画書」を提出したが、自動火災報知設備の全館設置については、北の丸新築工事着工後(同年秋以降)着工する旨回答した。同年一一月六日、有馬出張所は、立入検査を行ない、先に提出された計画書が履行されていないとして早急設置方を指示し、翌一二月四日付「指導書」においても右指示を伝えた上、同月二四日付「指導書」で履行計画書の提出を促した。これに対し、被告人は、翌四三年二月四日付「指導書による改修計画書」を提出したが、その内容は北の丸新築計画があるのでその完成時に設置するというものであつた。同年四月、被告人は北の丸(鉄筋コンクリート造一一階建、工事見積費四億円)の新築工事にかかつたが、同設備については、北の丸部分のみの着工届を提出したに留まつた。右着工届、さらには北の丸新築工事の着工届はいずれも却下された。かようにして、被告人も同設備の設置を検討せざるをえない事態に至つたのであるが、既設建物を、Aブロツク(西の丸等の半円形の鉄筋建物部分)、Bブロツク(残余の鉄筋建物部分)、Cブロツク(仁王殿、吟松閣、緑雨荘、吸霞亭、即ち木造建物部分)に区分し、段階的に設置していこうと計画した。その背景には、既設建物部分について同時に設置するのは、費用の面で負担が大きい、例え火事になつても吟松閣を初め木造建物部分は容易に脱出できるから大丈夫だという営利主義的、且つ、甚だ楽観的な態度があつたことは否定できない。被告人は右計画に基づき、業者に見積りをさせるなどした。同年七月二六日、被告人は、兵庫消防署次長以下消防当局の立入検査を受け、既設建物部分に早急に同設備を設置するよう指示されたが、木造建物部分は万国博覧会が終わつたら取り壊す予定だからそれまで待つて欲しいなどと言つて、同設備の設置、とりわけ木造建物部分へのそれの設置に極めて不熱心な態度をみせた。ここに至つて、消防当局は警告を発することに踏み切り、既設建物部分に早急に同設備を設置せよ、本警告によるも改善されないときは、正式命令を発し告発に踏み切る旨を内容とする同月三〇日付「警告書」を発した。そこで、被告人は、前記計画に基づき、Aブロツクだけの同設備の着工届を作成し、同年九月一二、三日ころ、有馬出張所に対し、業者及び射場惣助を通じて右着工届の受理方を交渉したが、同出張所は既設建物部分全部についての着工届でないと受理できないとして、これを拒否した。数日後、被告人は有馬出張所に架電し、右着工届を受理してくれるよう強く要望し、一応受理されはしたものの、兵庫消防署において却下された。同年一〇月一日、有馬出張所は廃止され、代つて兵庫消防署北神分署(以下「北神分署」という。)が発足し、右分署が引続き被告人に対する同設備設置方の指導、勧告に当つたが、同月一八日、二六日における指導、勧告の際も被告人が、同設備をまず前記Aブロツクだけに設置することを承認してくれるよう強く要望するに及んで、北神分署は、とにかく既設建物部分全部についての同設備の着工届を提出させるが、うち、半円形建物部分を含む満月城部分を先に着工させ、残る木造建物部分については早急に設置する旨の誓約書を被告人に提出させることに留めることを決め、その旨被告人に指示した。そして、右半円形部分に対する設置工事に着手し、配管工事が終わつた段階で本件火災が発生したものである。

2 以上、被告人が約二年六月もの長期間、再三にわたる消防当局の指導、勧告、警告にもかかわらず、自動火災報知設備を既設建物部分に設置しなかつた経過に照らせば、被告人には前記注意義務の違反があつたことは明らかである。

第三被告人の過失と吟松閣各階、緑雨荘一階、天守閣の各宿泊者の焼死との間に因果関係を認めた理由

前掲関係各証拠に基づき、右認定の理由を説明する。

一  前掲川越邦雄、若松孝旺作成の鑑定書(以下「鑑定書」と略称する。)の検討

1 発炎着火後感知器が作動するまでの時間、感知器作動後出火室において多量に発煙し始めるまでの時間及び右煙が仁王殿二階廊下に噴出し始めるまでの時間に関する鑑定について

右の点に関する鑑定結果は、発炎着火後、感知器が作動するまでの時間は二乃至三分以上、その後出火室が多量に発煙し始めるまでの時間及び右煙が廊下に噴出し始めるまでの時間はいずれも三分以上であるというのである。

そこで検討するに、まず右感知器作動時間については前記因果関係を判断する上で直接関係を有しないのでこの点に関する検討は措く。ところで、鑑定書は出火室において多量に発煙し始める時点及び同室から多量の煙が廊下に噴出し始める時点はいずれもフラシユオーバー時点にほぼ一致するとした上で感知器が作動してから濃煙が多量に廊下に噴出し始めるまでの時間(即ちフラツシユオーバー時間と感知器作動推定時間の差引時間)について過去二四例の火災実験結果をもとに検討し、開口条件等の違いによる初期温度上昇の違いを考慮して本件火災の場合はそれらの平均値(三分一二秒)以上、即ち三分以上であると算出している。

しかるに右各実験例を検討すると、各実験例における右差引時間は最も短かい場合で一分二〇秒、最も長い場合で五分三〇秒というように相当の幅があるだけでなく、それらの実験条件(可燃物量、内装材料の種類、開口部の状態、部屋容積、点火源の種類)は区々なのであつて、それだけ条件の異なる実験例の平均値なるものがいかなる意味を有しうるのか甚だ疑問にならざるを得ず、右差引時間が全体としての鑑定結果に重大な影響を及ぼすことに思いを致せば右鑑定方法はやや安易であると言わざるを得ない。

2 サービスルームから同室前廊下に噴出した濃煙が吟松閣各階、天守閣、本丸五階に到達するに要する時間に関する鑑定について

右の点に関する鑑定結果は、吟松閣一階一・六分以上、同二階二・五分以上、天守閣五分以上、本丸五階三分以上(いずれも煙が階段口に到達するまでの所要時間)となつている。

鑑定書によれば、右の鑑定をする方法として、(1)出火室がフラツシユオーバーに達した時点では同室の南東側窓及び廊下に面する扉はすべて破れ落ちているものとする、(2)外気温度は摂氏一〇度、フラツシユオーバー後の出火室の温度は摂氏八〇〇度とする、(3)出火室から仁王殿二階廊下に噴出された煙は、同所から〈1〉らかん坂〈2〉ダンスホールへ上る階段〈3〉本丸南側階段〈4〉ジヤングル風呂脱衣室階段、へすべて流出するものとする、(4)右〈1〉〈2〉〈3〉へ流入した煙はそれぞれ吟松閣二階、天守閣、本丸六階までの最短コースを充満しながら流れ、他に流出しないものとする、但し、吟松閣一階と中の丸がらかん坂上で接する部分では右〈1〉と〈2〉の流れが合流し、その二分の一ずつがそれぞれの流路を流れるものとする、(5)フラツシユオーバー時には仁王殿二階廊下には垂れ壁(天井下一・三四メートル)下端まで煙が充満しているものとする、(6)フラツシユオーバー後仁王殿二階廊下における煙の厚さは天井下一・六四メートルとする、(7)仁王殿二階廊下から右〈1〉乃至〈4〉の各部へ流出する時の煙の水平流速はいずれも等しく、各部へ流出する煙の温度は〈1〉が摂氏一五〇度、〈2〉が摂氏一〇〇度、〈3〉が摂氏一二〇度とする、以上七点にわたる仮定を設定している。以下各仮定の当否を検討する。

(仮定(1)について)

前掲証人川越邦雄、同若松孝旺に対する各証人尋問調書(以下それぞれ「川越調書」、「若松調書」と略称する。)によれば、サービスルーム南東側に窓ガラス、廊下側にベニア板の扉があつたが、それらの性状の詳細は明らかでないものの、通常それらには特殊の材料は使われない、通常使われる材料のものを想定すれば、右窓ガラス、扉は出火室がフラツシユオーバーに達する以前に破れ落ちる可能性はある、反面天井は少し厚めの板を張つてあつたから、フラツシユオーバー時にも燃え抜けずに持ちこたえていたと想定できる、又以上の状況を前提すると、出火室における中性帯の位置は床上一・〇メートルとなり扉から大量の煙が廊下に噴出することになつて各建物への煙の最小到達時間を算出するという鑑定目的に副う、反面フラツシユオーバー時に天井が燃え抜けているとすれば右中性帯の位置は高くなり扉から廊下に流出する煙は減少し右鑑定目的に副わない結果となる、というのである。前掲大掛正昭、朝野啓一の各供述調書によれば、両名はその宿泊室から外に「赤い火」や煙を目撃しているのであつて、当時火は出火室の天井の隙間から燃え上ろうとする状況下にあつたとも考えられる一方、両名がサービスルーム前に降りて行つた時はまだ扉は破れ落ちていなかつた。従つてフラツシユオーバー時には天井の方が先に燃え抜けていた、或いは天井と扉が殆んど同時に燃え落ちた可能性がある。しかし仮定としては被告人に有利な方を採用すべきであつて、そうである以上右仮定には特段不合理な点は認められない。

(仮定(2)について)

鑑定書によれば、外気温度は剣谷観測所の測定によるもので、出火室温度は各火災実験(主として鉄筋コンクリート建物について行なわれたもの。サービスルームは木造)における平均温度である。若松調書によれば、外気温度は摂氏零度から二〇度までであれば、全体の計算結果に影響を及ぼさない、又出火室温度もフラツシユオーバー後の短時間の温度を問題にしている上に出火室の上下の平均温度をとるわけであるから建物が鉄筋造りか木造かによつて出火室の温度が大きく変わることはない、というのであつて右仮定には特段不合理な点は認められない。

(仮定(3)(4)について)

川越、若松各調書によれば、右各仮定は煙の性質と吟松閣二階、天守閣、本丸六階に煙が到達するに要する最小時間を算出するという限定された鑑定目的を考慮して他の可能性を捨象したものであつて、右各仮定に特段不合理な点は認められない。

(仮定(5)(6)について)

鑑定書の記載及び川越、若松各調書によれば、仮定(5)は垂れ壁下端より下の部分には空気の流入があるから出火室から噴出した煙はそれより上の部分に充満するはずであるという想定によるもので右仮定に特段不合理な点は認められないが、仮定(6)については、鑑定書には「フラツシユオーバー時に仁王殿廊下を走つて避難した“朝野”の供述による(煙が顔のあたりまで降下)」とあるものの、右朝野啓一の前掲各供述調書、同人についての捜査復命書には、そのような趣旨の供述は見受けられないのであつて、果して同人が仁王殿二階廊下を走つて避難した時煙が同人の顔面付近まで降下していたのか疑問が残るところである。しかもその点は各建物への煙の流出量に影響しひいては煙の各到達時間に影響を及ぼすわけであるから無視しえない問題と言わなければならない。

(仮定(7)について)

若松調書によれば、右仮定のうち水平流速の点は換気が良いと煙に対する吸引力が働くが本件は深夜の火災であつて各部屋の窓は閉め切られていたと考えられるから右吸引力は働かず、煙の水平流速は専ら出火室から煙が吹き出す力で決まるというのであつて、右の点を含め右仮定に特段不合理な点は認められない。

3 感知器の作動による警報後吟松閣二階、天守閣、本丸六階(五階)の各宿泊者が避難するまでに要する時間に関する鑑定について

右の点に関する鑑定結果は、吟松閣二階(「孔雀」の間)の宿泊客三・二分、天守閣南端(「北極星」の間)の宿泊客二・八分、本丸六階(六〇一号室)の宿泊客三・三分(本丸五階五〇五号室の宿泊客について同様の計算をすれば二・六分となる。)であるというのである。

そこで検討するに、鑑定書は、覚知時間(警報があつてから宿泊者が火災発生を覚知するに要する時間)は建物内放送等の設備が利用できる場合は極めて短時間で済むとし、準備時間(火災覚知後避難を開始するまでに要する時間)と合わせて一分と計算している。ところで右準備時間は、鑑定書によれば宿泊者が衣服を着用する時間と火災の位置、避難方向を確認するためうろうろする時間も含まれるというのであるが、そうとしても右覚知時間と準備時間を合わせて一分と計算するのは、本件が深夜の火災であつて、宿泊者の生理的条件や、周囲の明るさ等状況把握の条件が昼間の火災とは自ら異なり或る程度の時間を加味しなければならないこと、建物内放送を行なうには手間取ること、通常火災発生を覚知した者は同宿している家族、友人にも火災を知らせ相伴なつて避難しようとするものであること等を勘案すれば、通常人であつても短かきに失すると言うべきであつて、あえて数字化するとすれば合計約三分程度は見積らねばならないと考える。

4 以上の検討により、鑑定書は基本的部分において合理性を認めることができるものの、一部において無視できない欠陥を有していると言わざるを得ない。結局当裁判所としては前記因果関係の判断につき鑑定書を一応参酌しはするが、右判断については、さらに宿泊者の避難状況を中心とする本件火災の具体的状況を検討することが不可欠であると考える。

二  自動火災報知設備が作動すべき時期

既設建物部分に自動火災報知設備が設置されていたとすれば、本件火災の出火場所と考えられるサービスルームにも、その構造、用途からして火災感知器が取り付けられてあつたはずである。そこで、まず右感知器が本件火災を感知しえた時期を検討する。

既に説示した如く、朝野の目撃したところでは、当初サービスルーム内から黒つぽい煙が吹き出している程度であつたが、便所に入つて背後を振返つた時は、黒煙が廊下一杯に充満し、廊下に出てみるとそれは渦を巻くようであつたというのである。川越調書によれば、火災室がフラツシユオーバー(同証人の説明するところによれば部屋の一部で燃えていた火が天井に移り、その熱で出火室に一気に火がついた状態。)になれば、その時点から急激に煙が噴出する。朝野が目撃した黒煙の異常な噴出状況から推せば、その時点で火災室内はフラツシユオーバーに達していたと考えられる。従つて、遅くともこの時点、即ち朝野が便所内に入つて背後を振返つた時点までにはサービスルーム内の感知器は火災を感知していたはずである。そして直ちに受信機に伝達され、連動装置若しくは受信機の位置にいるべき守衛等の手動操作により、短時間のうちに旅館全館に非常発生を報知しえたはずである。

三  奥山浩司ら三名の行動及び火災目撃状況

奥山浩司、新谷(奥山)康子は、火災発生を知る(その時点は、サービスルームがフラツシユオーバーに達してから一定時間経過した後であることが認められる。)と、宿泊客、従業員に火災発生を知らせ、避難させるため、直ちに山彦温泉脱衣室前の廊下を経て、吸霞亭一階「羽衣」の間下の福田朝夫、福田博朝の親子を起こした。そこで、右福田博朝を加えて三名で吸霞亭一階にあがり、従業員二宮タツ子や「久米」の間の客に火災を知らせた。そして「火事だ。」と叫びながら、緑雨荘一階→吟松閣一階→中の丸の順に廊下伝いに走つて行き、ダンスホール南側の階段付近まで来たところ(出発点からの距離約一〇〇メートル)、付近一帯に黒煙が充満しており、とても前進できる状態でなかつたので中の丸南側階段まで後退し、同所から四階満月城大宴会場にあがり、「天竺」「高天原」前廊下を通つて三階表玄関ロビーへ降りた。同所で夜警員の馬場豊治と会い、火災発生を知らせ、消防署に電話で通報したり、右新谷(奥山)、福田が西の丸二階に火災発生を知らせに行つたりした後、再び三名で天守閣の宿泊客、従業員を起こしに行こうと玄関ロビー階段をあがりかけたところ、同所に濃煙が押し寄せてきており、もはや前進できなかつた。

右表玄関ロビーに至るまでの間、ダンスホール南側階段付近以外「らかん坂」も含む。)では濃煙はなく、廊下の電気もついており、又廊下に人影はなかつた。

四  被告人の過失と吟松閣一、二階及び緑雨荘一階の各宿泊客の焼死との因果関係

1 吟松閣一、二階、緑雨荘一階の焼死者の出た各客室の宿泊客の避難状況は次のとおりである。

吟松閣一階「鳶」の間(宿泊客七名中、八十島正文ら二名死亡)の宿泊客が火災に気付いた時は、既に停電しており、廊下も煙が充満していて、容易に脱出できない状況であつた。意を決して廊下に出たものの避難すべき方向の見当がつかず他の宿泊客らの後について、火の粉をかいくぐりながら脱出するというような状況であつた。即ち、避難すべき方向の判断さえまともにできない、極めて急迫した状況に置かれていたのであつて、右八十島ら二名の焼死者も右状況下で、避難すべき方向を誤つたものと考えられる。

吟松閣二階「孔雀」の間(田中とし子ら宿泊客八名全員死亡)の宿泊客の焼死の原因は、全員焼死というその結果及び死体位置状況からみて火災に気付くのが甚だ遅れたことによるものであることは明らかである。

同二階「鳳凰」の間(宿泊客一〇名中、中山富旺ら七名死亡)の宿泊客が火災に気付いた時は、電気は一時ついていた廊下は煙が充満していたので、部屋伝いに孔雀の間の方へ(つまり煙に向かつて)移動しようとしたところ停電になつた。避難できた三名は、いずれも窓から庭に飛び降りたため助かつたものである。右状況に鑑みれば、同室の宿泊客は、火災発見が遅かつた上停電になつたため、避難すべき方向を確認する十分な時間的余裕もなく、一部は脱出しえたが他は逃げまどつているうちに死亡するに至つたものと考えられる。

緑雨荘一階「山雀」の間(宿泊客四名中、谷川幸雄死亡)の宿泊客が火災に気付いた時は電気はついていたが、米沢実の行動から推してまだ避難すべき方向を確認できないうちに停電となつたものと考えられ、右谷川も右状況下で遂に脱出し切れなかつたものと思料される。

右のとおりであつて、前記各客室の死亡者らは、火災に気付いても、避難すべき方向を見定めるだけの時間的余裕がなかつたか、あるいは、そもそも脱出が不可能な状況下にあつたか、のいずれかであつたと考えられる。そこで、既設建物部分に自動火災報知設備が設置してあれば右死亡者らに対し火災を覚知し、避難準備をした上、避難すべき方向を見定め、且つ、安全に脱出できるだけの時間的余裕を与えることができたかを以下検討する。

2 中西かね子(従業員、吟松閣二階南側女中部屋に就寝。)は人が一階廊下を走る足音で目醒め、部屋の電気をつけて廊下へ出た。廊下にはまだ煙はなかつたが「孔雀」の間の階段付近に煙が充満していた。火事だと気付き、同室前の女中部屋に寝ている的場信子らに知らせ、集つて来た二、三人の宿泊客を誘導して緑雨荘二階廊下を吸霞亭の方向へ進んだところ、「虹」の間か「村雨」の間付近で停電した。そのまま吸霞亭二階「拾得」の間前まで行き、一階に降りて吟松閣一階の女中部屋の窓から外に脱出した。

右中西の行動及び火災目撃状況から、右中西が火災に気付いたのは、前記奥山らの行動及び火災目撃状況に鑑み、サービスルームがフラツシユオーバーに達してから、即ち、既設建物部分に自動火災報知設備が設置してあれば、それが作動した後、相当時間経過した後であつたことが明らかである。又、その間、吟松閣二階廊下に濃煙はなかつたし、電気もその間及び右中西が火災に気付き、連絡、避難及び誘導を行なう一定の間停電していなかつたのである。右停電までの時間は、前記奥山らや右中西の行動に照らし、前記各客室の死亡者らが、火災を覚知し、避難準備をした上、避難すべき方向を見定め(吸霞亭方向に走れば避難口が多く脱出が容易である。)、且つ、安全に脱出できるだけの時間と言うことができる。

以上の状況及び結論は、建物の構造(特に階段の位置)、煙の性質を考えれば吟松閣一階の死亡者らとの関係についても妥当すると考えられ、まして吟松閣に比し出火場所からの距離が遠い緑雨荘一階の死亡者についてはなおさらである。

3 以上の検討によれば、被告人の過失、即ち既設建物部分に対する自動火災報知設備の設置義務に違反したという過失と吟松閣一、二階及び緑雨荘一階の八十島正文ら一八名の宿泊客らの焼死との間には条件関係が認められるばかりでなく、建物の配置、構造、深夜の火災であること等の前示状況に鑑みれば、被告人の右過失から右結果が生じるであろうことは一般通常人においても予見可能であると考えられ、そうである以上、被告人の右過失と右結果との間には因果関係を肯認することができる。

五  被告人の過失と天守閣の宿泊者の焼死との因果関係

1 天守閣(宿泊者一六名、うち従業員三名。死亡者一〇名、うち従業員一名。)の生存者の避難状況は次のとおりである。

天守閣南東の女中部屋に就寝していた従業員米沢スミ子が目を醒まし廊下へ出ると、右女中部屋北隣り階段を下から濃煙が昇つてきた。同室の杉本三枝子を起こし、部屋を出たところで停電となつた。煙が廊下に充満してきたので、両名とも窓からベランダに出て脱出した。「天王星」の間に宿泊した客小山徳松及び小山千代子夫婦が起きた時は部屋は停電していた。廊下は濃煙が充満していた。煙と停電のため階段がわからなくなり、窓からベランダに出て脱出した。「木星」の間に宿泊した客大谷茂男及び大谷としゑ夫婦は下の方からの「火事や。」という声で起きて部屋の電気をつけてみたところ、すぐ停電した。廊下は煙が充満していた。窓からベランダに出て脱出した。途中吟松閣の窓から火が吹き出しているのが見えた。

右のとおりであつて、天守閣の宿泊者が火災に気づいたのは天守閣南側に煙が到達する直前か若しくは既に廊下に煙が充満してからであつた。天守閣の焼死者も同様であつたと考えられる。そして煙が天守閣南側に到達した後まもなくして天守閣は停電した。

2 ところで、前記奥山らの目撃状況からすれば、右奥山らが満月城大宴会場を通過する際同階には煙はなかつたというのである。天守閣は右大宴会場の直上階であるが、右大宴会場と天守閣の連絡階段としてはロビー階段と、右大宴会場南側階段がある。うちロビー階段は本件火災出火場所から遠く、大宴会場南側階段は、中の丸南側階段と連絡しているが、奥山らが右中の丸南側階段を上がる時は同所付近にも煙はなかつた。他に奥山らが目撃したダンスホール南側階段付近の濃煙が直接天守閣に向け上昇しうる階段はなく、天守閣と同階と接続している本丸六階との間には煙の通路となるべき出入口等の開口部はない。そうである以上、少くとも奥山らが右大宴会場を通過して表玄関ロビーに降りるまでは天守閣に煙は到達していなかつたと考えられるのである(即ち天守閣に煙が到達したのは火災発生後相当時間経過した後と考えられ、この点は、煙到達後まもなく部屋を出たと考えられる前記大谷茂男が吟松閣が火を吹いているのを目撃している事実とも符合するものである。)。その間天守閣に電気は通じていた。

3 右の諸事実と前記奥山らの行動を合せ勘案すれば、既設建物部分に自動火災報知設備が設置してあれば、死亡者らを含む天守閣の宿泊者は全員、遅くとも右奥山らとほぼ同じ頃までに表玄関ロビーに脱出できたと考えられ、そうである以上、被告人の本件過失と天守閣宿泊者の焼死との間には因果関係を肯認することができる。

第四被告人の過失と本丸の宿泊客である笠井瑞枝、高橋秀典の各焼死との間に因果関係を認めなかつた理由

一  前掲関係各証拠に基づいて検討を加える。

1 本丸(宿泊者一一名、うち従業員二名。五階五〇二号室の宿泊客笠井瑞枝、高橋秀典の二名死亡。)の生存者の避難状況は次のとおりである。

四階四〇六号室に宿泊していた客黒沢良男及び黒沢合子夫婦が起きてみると部屋に煙が這つていた。事務室へ電話したが応答なく、廊下に出てみると部屋に煙が入つてきた。その直後停電した。雨樋を伝つて脱出した。四階北の女中部屋に就寝していた従業員浅利咲百合が起きた時は廊下は煙が充満していた。窓から、六階北の女中部屋に就寝していた同僚の松林百合子に火事を知らせ、布団を三階バルコニーに放り投げて両名とも飛びおり、濃煙の中を表玄関から脱出した。五階五〇三号室に宿泊していた客久保田成之及び久保田なか夫婦、同五〇四号室の客山口博顕及び山口玲子夫婦の場合はいずれも起きた時既に停電しており、廊下には煙が充満していた。ともに雨樋を伝つて脱出した。六階六〇二号室に宿泊していた客竹本健吉は午前三時頃、ヂヂヂ………という長い音を聞いた。事務室に電話したが応答がなかつた。ドアの前の襖を引くと黒煙が部屋に入つてきた。すぐに着替えて窓を開けようとした時爆発音がして電気とベルの音が消えた。雨樋を伝つて脱出した。

右のとおりであつて、宿泊者が火災に気付いた時は既に各階廊下に煙が充満しており、生存者はいずれも部屋の窓から、ある者は雨樋を利用して、ある者は布団を投げ、その上に飛び降りるという極めて危険度の高い脱出方法をとることによつて、間一髪助かつたことが認められる。

2 ところで、鑑定書がたやすく信用できないことは既に説示したとおりであるが、他の本件全証拠によつても、右煙が、遅くとも出火室の感知器が作動したとみられる時点からどの位経過してから各階に到達したのかという点は不明である(右時間が明らかにならない以上、本丸五階の宿泊客が全員その時間内に表玄関等から安全に脱出できたかを検討することは不可能とならざるを得ない。)。前記朝野らがサービスルームから煙が噴き出ているのを目撃した出入口は同室北側寄りであつて、同室北端から本丸南側階段までは極めて接近している(約五メートル)上に、右階段がその性質上煙の格好の上昇経路となるべきものであることに鑑みれば、出火室から流出した煙が本丸各階に到達するまでの時間は、すでに検討してきた他の建物の場合に比し極めて短時間であつたのではないかとも考えられる(もつとも、弁護人ら主張の、本丸各階には多くの穴があつたから煙の到達時間は鑑定結果より早かつたとの点は、宿泊者の煙の目撃状況に鑑み、当裁判所の採用しないところである。)。

二  結局、出火室の感知器が作動したとみられる時点から、本丸五階に濃煙が到達した時点までの間に、本丸五階の宿泊者が全員安全な経路をたどつて無事に避難できたことを認めるに足りる証拠は不十分であると言わざるを得ず、従つて被告人の本件過失と本丸五階五〇二号室の宿泊客である笠井瑞枝、高橋秀典の各焼死との間に因果関係を認めることはできない。

三  従つて、被告人の右両名に対する各業務上過失致死の点は犯罪の証明がないことになる(もつとも他の二八名に対する判示業務上過失致死罪とは観念的競合の関係にあると認められるので、主文において特に無罪の言渡はしない。)。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、いずれも行為時においては刑法二一一条前段、昭和四七年法律六一号罰金等臨時措置法を改正する法律による改正前の同法三条一項一号に、裁判時においては刑法二一一条前段、右改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、右は一個の行為で二八個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、一罪として、犯情の最も重い西田昭八に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲で被告人を禁錮二年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件火災は、死亡者二八名(被告人に罪責を問うことができないとされた前記二名を含めると三〇名)、負傷者多数を出し、結果が極めて重大であつただけでなく、被害者の大部分が旅館宿泊客であり、中には宿泊していた家族全員が犠牲となつた一家もある。その悲惨さ、社会に与えた多大の不安、しかも右結果が、消防当局の屡次にわたる指導、警告があつたにもかかわらず、利潤追求を第一とする余り、自動火災報知設備を設置する費用を出し惜しんだために惹起されたものであること等を考慮すれば、被告人の旅館経営者としての職責に照らし、その犯情は決して軽くはない。

しかしながら、本件火災の出火原因は判明しておらず、また本件火災当時、自動火災報知設備の設置に関する消防法令の規定は必ずしも十分に整備されていたとも言い難く、従つて消防当局も被告人に対して毅然たる態度で臨まず、またその指導にも的確性を欠いた面があつたことなどをも考慮すると、被告人のみにその全責任を負わせることはいささか酷であるといわざるをえず、また被害者側に対する補償、慰謝も誠実になされていること、既に起訴後相当期間経過しており、被告人も十分に反省していること等被告人にとつて有利な事情もあり、以上を勘案して主文の量刑に至つた次第である。

以上の理由で主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋通延 寺田幸雄 若宮利信)

別表(一)

名称

建築

(使用開始)

年月日

構造

階数

延床面積

客室数

(扇形部分を含む)

満月城

(五階部分が天守閣)

昭37・8

(ただし天守閣は昭39・11)

鉄筋コンクリート

5階

地上3

七、一六〇

(天守閣九七三m2)

五七

地下2

本丸

昭41・1・1

鉄筋コンクリート

(ただし六階は木造)

6階

地上4

一、三八六m2

三四

地下2

山彦温泉

(ジャングル風呂)

昭30ころ

鉄筋コンクリート

二階

二九九m2

浴場

仁王殿

昭32・4

一階 鉄筋コンクリート

二階 鉄板

二階

九六二m2

吟松閣

昭28・10

木造瓦葺

二階

五四六m2

緑雨荘

昭28・10

右同

二階

五三七m2

一四

吸霞亭

昭30・12

右同

二階

五〇四m2

一一、三九四m2

一二四

別表(二)

氏名

年令(年)

宿泊室

氏名

年令(年)

宿泊室

八十島正文

一九

吟松閣一階

(鳶)

稲垣由尾

一九

吟松閣二階

(鳳凰)

米原春夫

二三

岩田税

二二

田中とし子

三〇

和田成一

二七

松井節子

四〇

吟松閣二階

(孔雀)

谷川幸雄

一九

緑雨荘一階

(山雀)

松井勝子

三五

佐藤カヤ子

三九

天守閣

(女中部屋)

大野美佐子

二〇

浜野久子

四五

右同

(日輪)

小竹万里子

一八

脇田豊子

四二

杉沢みつえ

四四

脇田音吉

八〇

右同

(流星)

田中敏子

一九

西田由美

右同

(惑星)

柴田啓子

一九

西田恭子

中山富旺

二六

右同

(鳳凰)

西田昭八

三五

臼島賢一

二〇

西田孝子

三四

藤山督夫

二二

中岡源五郎

三四

右同

(十字星)

荒木俊行

二〇

吟松閣二階

(鳳凰)

西井洋子

二六

天守閣

(十字星)

消防用設備配置図〈省略〉

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